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アザリア記念会 「賢治の葉書パネル」江刺4郵便局に贈呈 [アザリア記念会の活動]

アザリア記念会は賢治が江刺に地質調査に行った際に保阪嘉内に送ったハガキの複製写真をパネルにして4枚の葉書の消印を押した4つの郵便局に贈呈した。
賢治が初めて江刺を訪れたのは、大正六年(一九一七)八月二十八日のことである。
この時賢治は、盛岡高等農林学校農学科第二部(第一部は農学全般、第二部は農芸化学を学ぶ)の三年生であった。
同行したのは、同級生の佐々木又治(岩手)と農学科第一部の同学年高橋秀松(宮城)である。

一行が江刺を訪れたのは、江刺郡の地質調査のためである。
当時の江刺郡役所が盛岡高等農林学校に依頼した調査であろう。
賢治らは農学科第二部の関教授からの命を受けて江刺にやってくることになる。
賢治は保阪嘉内に宛て八月二十八日は岩谷堂から、三十一日は田茂山から、九月二日は伊手から、九月三日は人首(ひとかべ)から様々な手法を用いて葉書を出している。
岩谷堂からは岩谷堂局(現在の江刺局)、田茂山は羽田局、伊手は伊手局、人首は米里局の消印が押されている。
6月1日午後2時半から奥州市江刺総合支所で贈呈式を行い、保阪嘉内の長男善三氏・次男庸夫氏らアザリア記念会のメンバーが韮崎から10名参加した。

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贈呈式には地元江刺区長の平京子氏が歓迎とお礼の挨拶、代表して羽田郵便局長にパネルを贈呈、保阪庸夫氏が「賢治からの手紙 勿忘(わすれな)の里 江刺」というテーマで講演。
保阪氏は江刺からの4つの葉書についての背景を説明し、「宮沢賢治 友への手紙」を40年前に著した際の一つ一つの手紙について地名を特定するための苦労話などを織り交ぜながら手紙がつなぐ人と人との心、手紙の大切さ、郵便局のみなさんへの期待などを述べました。
お礼のことばとして 玉里郵便局長が「90年前の私たちの先輩達がしっかりとした仕事をしていることを誇りに思う、私たちも手紙文化の大切さを考え仕事に努力していきたい。」というお話しがありました。
この企画の実現にあたっては元伊手郵便局長の男沢健氏の郵政職員としての情熱と誇りに私たちが感銘を受けたことが発端となった。

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このパネルは7月末まで江刺図書館で展示した後、各郵便局で展示される。
パネルは4月から5月にかけて事務局の向山三樹、運営委員の新村美佳が作成した。

胆江日日新聞の記事から5月31日付http://www.tanko.co.jp/

(記:むこうみず)
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