今日は嘉内忌 [その他(雑感など)]
今日は、嘉内忌。
保阪嘉内は、昭和12年(1937年)の2月8日の早朝、この世を去りました。
享年41。
満40歳と4か月弱。
まだこれから・・・という壮年期での逝去でした。
青年期から「なすべき事を果して一刻も早く自然に還る」という早世論を唱えてきた嘉内の最期の言葉は、「人は皆、こうして自然に還ってゆくのだ」であったといいます。
一方、その前月に見舞いに訪れた友人に、「思えば俺の一生は、農学を学ばんとして成らず、農村伝習所を興さんとして成らず、農村工場を建てんとして成らず、失敗の連続であった。若し此の病を克服出来れば再度上京して研究を完成し、農村復興の資金を作る。その時にはお互に頑張ろうではないか」と語ったという話も伝えられており、最後まで心の中では夢を捨てずいたこともうかがえます。
末期の嘉内は、何を考えたのでしょうか。
そんなことを考えていたら、風が「どどう」と吹いてきました。
(記:azalea)
保阪嘉内は、昭和12年(1937年)の2月8日の早朝、この世を去りました。
享年41。
満40歳と4か月弱。
まだこれから・・・という壮年期での逝去でした。
青年期から「なすべき事を果して一刻も早く自然に還る」という早世論を唱えてきた嘉内の最期の言葉は、「人は皆、こうして自然に還ってゆくのだ」であったといいます。
一方、その前月に見舞いに訪れた友人に、「思えば俺の一生は、農学を学ばんとして成らず、農村伝習所を興さんとして成らず、農村工場を建てんとして成らず、失敗の連続であった。若し此の病を克服出来れば再度上京して研究を完成し、農村復興の資金を作る。その時にはお互に頑張ろうではないか」と語ったという話も伝えられており、最後まで心の中では夢を捨てずいたこともうかがえます。
末期の嘉内は、何を考えたのでしょうか。
そんなことを考えていたら、風が「どどう」と吹いてきました。
(記:azalea)
2009-02-08 20:46
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