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「秩父始原層 其他」に詠まれた岩石・鉱物 ―宮澤賢治の畏友 保阪嘉内の歌稿ノートから― [研究に関すること]

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「秩父始原層 其他」に詠まれた岩石・鉱物 ―宮澤賢治の畏友 保阪嘉内の歌稿ノートから―
この論文は埼玉県立自然の博物館 本間岳史氏によるものです。

要旨
宮澤賢治の心の友とも評される保阪嘉内は、大正6年7月、盛岡高等農林二年生の時、秩父見学旅行に参加しその時に詠んだ296首の短歌を「秩父始原層 其他」と題するノートに書き残した。
筆者はこれらの短歌のなかから、岩石、鉱物、地質現象等が登場する154首を抽出し、それらの事象を分類・整理して学術的な説明を加えると共に、当時の巡検案内等も参照してそれらの産出地などについて考察し、嘉内らの足跡をたどった。
また岩石・鉱物・地質現象等の擬人化や性格づけから、嘉内の秩父に対する思い、これらの事象に関する知識や好みを考察し、嘉内の自然科学者としての側面と「文学の素養がある理科系の人間が歌を詠む学術的な効果」を浮き彫りにした。
賢治は嘉内の一年前に秩父を訪れた時に詠んだ「つくづくと『粋なもやうの博多おび』荒川ぎしの片岩の色」という歌は大変有名で歌碑にもなっている。
しかし賢治は岩石・鉱物・地質現象などを詠み込んだ歌は意外に少なく、むしろ秩父の美しい自然景観や、そこに暮らす人々の情景を文学的に表現したものが多い。
嘉内の場合は、同じ結晶片岩を前にしても、自然科学者的な観察所見を前面に出した、やや直接的な表現をしているような印象を受ける。
文学部の学生と理学部の学生のようだ。
このように本文では評している。

嘉内が岩石や鉱物を擬人化したり性格付けをしていることを細かく分析したり、短歌に詠まれた岩石・鉱物・地質現象等の特徴とその産出地を細かく紹介したり大変興味深い。
嘉内の「この山は小鹿野の町も見えずして 太古の層に 白百合の咲く」の歌は「ようばけ」の前に賢治の歌と一緒に刻まれている。

名称未設定-1.JPG
嘉内作製「秩父甘楽地方地質略図」
大正6年のスケッチブックに挟まれていたもの。
同年7月23日から28日の秩父・甲斐・諏訪土性地質研修旅行の折のものと思われる。


■埼玉県立自然の博物館
http://www.shizen.spec.ed.jp/

(記:むこちゃん)
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コメント 3

azalea

むこちゃん様、記事ありがとうございます。
そういえば「ゆかりの地をめぐって」の秩父紀行シリーズ、まだ完結してませんでしたね。
サボっていてすみません(>_<)

補足です。
「秩父甘楽地方地質略図」については、下記の記事も併せて御覧いただければ幸いです。
http://azalea-4.blog.so-net.ne.jp/2008-02-08
ちなみに、「日本地質学発祥の地」の碑のバックに写っているのが埼玉県立自然の博物館で、本間さんはそこの館長さんです。
この論文は同館の「研究報告」第2号に収録されています。
by azalea (2008-06-08 00:59) 

シグナレス

>賢治は岩石・鉱物・地質現象などを詠み込んだ歌は意外に少なく・・・
賢治は詩を書くようになってからの方が化学用語や現象を表現に取り入れているように思います。それは賢治の独自のものと思っていましたが、どうやらルーツは嘉内にあったようですね。私は「秩父始原層 其他」を初めて読んだときその事を知り、大変驚きました。ほんとうにすばらしいです。
by シグナレス (2008-06-08 09:20) 

azalea

保阪嘉内が賢治に与えた影響・・・。岩石や化学の用語を詩の中に用いるのも、その大きなものの一つですよね!嘉内にとって「秩父始原層 其他」は、そのピークともいえる作品集だと思います。
嘉内は、高等農林学校を離れてからはしだいにそうした言葉を使わなくなっていくようです。でも、そうした嘉内の若き日の試み(?)は、賢治に受け継がれてだんだん成熟していったように感じています。
そう考えると、それも二人の友情の結実でもあるような気さえします。
ちょっとオーバーかな?
by azalea (2008-06-09 01:19) 

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