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大正10年6月2日の嘉内 [作品に関すること]

6月になりました。
何か記事を書いてみたいと思いつつ、5月が終わってしまい、ちょっと焦っています。

さて、大正10年の今日、保阪嘉内は何をしていたのでしょうか?
『国民日記』を見ますと、6月2日のところには短歌が12首書きつけてあり、その中には「駅」「渡船」「汽車」といった言葉が散見します。
短歌以外には何も書かれていませんので、何があったかは分かりませんが、どこか旅行にでも出かけていた様子です。

その中から3首を紹介します。

朝の駅友と下り来し山の道を餅ほゝばりて歩み行くかな、
軽げなる女の髪をなぶりつゝ夏河風のふける渡船場
山の駅の高みを往ける汽車を見ついつしか艸にね入りたるかな、


さて、これはどこの情景なんでしょうか?
いろいろ想像してみるのも、楽しいかも知れません。


(記:azalea)
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コメント 6

akatuki

大正10年といえば、7月に嘉内は上京し軍隊生活をし始めましたね、そして運命の帝国図書館に向かう事になります。
この時、満たされない思いの中で、嘉内は寂しさの中にあったのかもしれません。上京すれば、もっと違う何かが自分を待っていると、思ったかもしれませんよね。
いずれにしても、お互いに強く相手の事を思いやっていた時だと思えるのです。相手を救いたいと思っての再会だったのではなかったでしょうか。
こうやって時を遡って見てみると、友と餅をほゝばる天真爛漫な短歌も、寂しく響いてしまいます。
by akatuki (2008-06-02 23:42) 

azalea

そうですね。「見習士官」としての入営1か月前の嘉内・・・その心境はどんなものだったでしょうか。実際に農村に入ってみたものの改革は思うようにいかず、話し相手もなく、そして賢治はあいかわらず。そんな時期。
>上京すれば、もっと違う何かが自分を待っている・・・
本当にそうだったかもしれませんね。嘉内は、上京をいろいろな意味で行き詰まったような状況を変える機会だと考えたような気がします。
新兵としての最初の入営と違って「見習士官」ですから、少しは自由もきいた(賢治も「見習士官なら外泊でせう」と言っていますね)でしょうし。
この小旅行(?)、もしかしたら寂しさを紛らわせるための気晴らしみたいな意味があったのかも知れないな・・・とakatukiさんのコメントを読みながら思いました。
by azalea (2008-06-03 06:55) 

シグナレス

山の駅の高みを往ける汽車を見ついつしか艸にね入りたるかな、

これって、なんだかジョバンニと重なって見えたのは
わたしだけでしょうか・・・?
by シグナレス (2008-06-03 08:23) 

azalea

朝の歌ですけれど「銀河鉄道」、やっぱり連想しますよね!
(テツなので人物よりも「汽車」に注意が向いてしまいますが(笑))

「山かげの小艸にまろび一時間つむり重たく夢を見て醒む、」
という歌もあるので、嘉内がまどろんでいたのは一時間ほど・・・
いったいどんな夢をみていたのでしょうね?
実はその中にブルカニロ博士が出てきたりして。。。
by azalea (2008-06-03 12:02) 

sora

こんばんは。
azaleaさん、ブログの更新お疲れ様。
ところで、保阪嘉内は餅が好きだったのでしょうか?

by sora (2008-06-03 19:55) 

azalea

soraさん、こんばんは。
あいかわらず食べ物のことしか興味ないんですかね~。
次回はもう少しまとまなコメントを期待しています(笑)
by azalea (2008-06-03 20:22) 

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