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「くまがや賢治の会」でわかったこと [人物に関すること]

先日(12月1日)、「くまがや賢治の会」で保阪嘉内と宮沢賢治のことについて話をさせていただきました。
二人の友情のこととか、二人が抱いた理想や夢のこととか・・・・
下手な話で、お聴きになっていた方は大変だったことと思いますが(^^;)

話の中で、昨年に韮崎文化ホールで開催した展覧会で作ったパネルの写真をいくつか紹介させていただきました。
その中にこういう写真がありました。

保阪嘉内のアルバムに貼られているもので、左側の写真には「二等兵の頃」、右側の写真には「保阪志願兵」というタイトルが書かれています。
左側の写真には「大正9年3月」とありますが、右側の写真には撮影時期が書かれていませんでした。

ここで思い出されるのが『宮澤賢治 友への手紙』でいえば「57」の
オ手紙トオ写真トヲアリガタウ存ジマス 殊ニ後者ハアナタノ面目ガ躍如トシテ 何遍私ヲ引キ入レテ笑ハセタカ知レマセン
という手紙です。
注に「この手紙は年月日がない。スクラップの貼付位置から大正九年一〇月または一一月頃と推定」とあります。

私は右側の写真が、この手紙に書かれている嘉内が賢治に送った写真ではないかとずっと思ってきましたが、なかなか確証が得られませんでした。
軍服で階級が分かればあるいは……と思ってきましたが、意外にも「くまがや賢治の会」で知ることができました。
会長さんは、盛岡高等農林学校の御出身で、一年志願兵として兵役の経験もお持ちの方で、写真を御覧になってすぐに「右側のは下士官の軍装です。軍曹でしょう」と教えてくださいました。
と、いうことは嘉内は大正9年11月に軍曹になって現役を除隊していますから、その時記念に撮影したものだと分かります。
「面目ガ躍如トシテ」という賢治の言葉にも、『宮澤賢治 友への手紙』の注にも、ぴったり来ます!

こちらの方が教えられた講演となりました(^^;)


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