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山梨と岩手をつなぐ二つの木の物語 [その他(雑感など)]

10月13日、韮崎市では東京エレクトロン韮崎文化ホール前庭に「保阪嘉内・宮沢賢治 花園農村の碑」が除幕されました。賢治と嘉内の交友は盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)の寮の一室から始まります。二人が友情を深め理想を語り合い、心の友としての親交があったことは現在山梨県立文学館で開催されている「宮沢
賢治若き日の手紙 保阪嘉内あて73通」でも詳しく紹介されています。

そして当日は岩手県知事より「ぎんどろの木」が贈られ記念植樹も行われました。
多くの人々の心と心をつないでここに「ぎんどろの木」が植えられるに至った物語をぜひ紹介したいと思います。

賢治と嘉内の交友は盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)の寮の一室から始まります。二人が友情を深め理想を語り合い、心の友としての親交があったことは現在山梨県立文学館で開催されている「宮沢賢治若き日の手紙 保阪嘉内あて73通」でも詳しく紹介されています。

今から3年前の春、小淵沢のペンションズームに一通のメールが届きました。
「こちらは岩手県にある小学校です。宮沢賢治のやまなしってあるんですが、その『やまなしの木』を植えたいといっている学校があるのです。苗木を分けてくれる情報をお持ちではないでしょうか。」という内容でした。

この方は当時岩手県の上平沢小の校長をしていた森田先生でした。ブログの「やまなし探訪ウオーク」の中にある「やまなしの木を訪ねて」(野辺山の樹齢200年~300年の見事な木の事)という記事を見ていたからです。

森田先生は先輩である当時盛岡市立杜陵小学校長である石田先生にやまなしの木をさがしてくれるように頼んでいました。

杜陵小学校では6年生が宮沢賢治のやまなしの学習をして、感動して「やまなしの木が学校にあったらいいな」と考え児童会の提案で卒業時の記念品にやまなしの苗木を選びました。
しかし岩手では自生の苗木を探すのは困難ということであきらめかけていました。

石田先生も八方手をつくして知人によびかけたところ、森田先生が記事に気がつき、メールを送ったのです。

さてそこからは清里観光協会の役員さんに話が行き、山梨県庁の担当者に、そして山梨県緑化センターに育てられていた『やまなしの木』が3本「山梨県知事山本栄彦」の名前で贈られることになったのです。
(実際は更に多くの人の協力があったことと思いますが)

平成16年4月29日には中学生となった卒業生が杜陵小学校の校庭に2本岩手公園(賢治との関わりも深く詩碑も建っている)に1本植樹されました。

卒業生は「やまなしの植樹が実現したのは願いを持ち続けていたから。思いがけない出会いを大切にしながらやまなしと一緒に成長していきたい」と話していたそうです。

このことは山梨県の「広報ふれあい平成18年1月号」などにも掲載されていましたが昨年12月の宮沢賢治・保阪嘉内生誕110周年記念展示会(同実行委員会主催)でも紹介しました。

生誕110周年記念事業の大きな目的の一つである「賢治・嘉内のモニュメント」を建てる計画が決定したときにまっさきに思いうかんだのはこの「やまなしの木」の話でした。「できれば岩手から二人の縁の木を送ってもらいたい、それは『ぎんどろの木』しかないだろう」ということでした。

嘉内は賢治らと創った同人誌「アザリア」に「どろの木」を何首も詠みました。また賢治もこのことをよく覚えていて「どろの木」を詩の中に登場させ、農業人として生きることを熱望して別れていったただ一人の友である嘉内の存在を意識していました。
今回の碑に刻まれている賢治が嘉内にあてた最後といわれる手紙の中にも「ドロの木のひらめきや何かを予期します。」と書いて嘉内の「ぎんどろの木」に対する思いを探っています。

8月、私は思い切って杜陵小学校に電話をしました。「当時の校長先生が状況を一番詳しく知っていますので連絡してください。」との返答でした。

早速石田前校長先生とお話ができました。そこからは今度は石田先生の奮闘が始まります。方々に声をかけていただき岩手県庁にも話が届き、賢治に縁が深く詩としても取り上げられた小岩井農場に育った「ぎんどろの木」が3本贈られることになりました。植樹式には岩手県知事達増拓也氏のメッセージを携えて、岩手県総合政策室の千葉茂樹氏らが山梨に来られたのです。

また「やまなしの木」に関わった森田先生、石田先生もお見えになりました。
山梨と岩手の距離は約500km、嘉内と賢治の友情と理想が時を越えてたくさんの人たちの心をつなぎ、二つの木の交流となりました。

贈られた「ぎんどろの木」の1本は韮崎北東小(嘉内の母校藤井小学校は統合されて現在は韮崎北東小)に植えられます。

6年生の子どもたちは先輩である嘉内と賢治の交友のことを知り、国語で「やまなし」の学習を意欲的に進めています。

岩手と山梨の子どもたちは賢治の「けん十公園林」のお話のように、木を見るたびに木を植えた人とその思いを感じとってくれるでしょう。

二つの木に始まった両県の交流が更に広がることを願ってやみません。


韮崎文化ホールのぎんどろの木


韮崎北東小のぎんどろの木


銀河鉄道展望公園のぎんどろの木

■この記事は、実行委員の向山三樹氏から提供いただきました。


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