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保阪嘉内について(4) [人物に関すること]

新聞社をやめ、再び郷里で営農をはじめた保阪嘉内でしたが、地元のさまざまな役職や、在郷軍人としての活動にも携わらなければなりませんでした。
そうした在郷軍人としての活動の一つに、青年訓練所での指導がありました。

青年訓練所は、初等教育しか受けてこなかった青年を対象に、軍事教練を行ったり補修として教養を身につけさせたりするものでした。
ここでの青年の指導を通じて、嘉内は青年教育に生きがいを見出していきます。

その結果、日本青年協会へ次第に接近し、日本青年協会が全国各地に建設を進めていた農業伝習所の構想に共鳴します。
そして、こうした日本青年協会の活動に従事することで、日本の未来をになう青年たちに新しい農業経営の方法を伝授しようと考えるようになります。

そして1931(昭和6)年の10月、保阪嘉内は一切の役職を辞退し、農地も処分して上京します。
そして日本青年協会が現在の東久留米市に開設をすすめていた武蔵野道場の主任として、新たな活動を開始します。

(続く)


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