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保阪嘉内について(1) [人物に関すること]

同人誌「アザリア」を発行していたアザリア会の中心人物は、宮沢賢治・保阪嘉内・小菅健吉・河本義行の4人でした。
そのうち、宮沢賢治についてはいまさらここで触れることもないでしょう。

ここではほかの3人について、簡単に紹介してみたいと思います。
まずは、保阪嘉内です。

保阪嘉内は、1896(明治29)年の10月18日、山梨県の駒井村(現韮崎市)に生まれました。
山梨県立甲府中学校を卒業後、東北帝国大学農科大学(現北海道大学農学部)の受験に失敗して1年の浪人生活を送った後、1916(大正5年)年に盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)の農学科第二部に入学し、寮で宮沢賢治と同室になりました。
それが機縁で賢治との仲が深まり、1917(大正6年)7月には共に「アザリア」を創刊します。
しかし、「アザリア」に過激な文言の文章を掲載したことがもとで、学校から除名処分を受け、志半ばで盛岡高等農林学校を退学しなければならなくなりました。
この時、賢治は嘉内に座右の書であった『漢和対照妙法蓮華経』を贈ったと言われています。
その経巻は、いまも保阪家に大切に保管されています。
(続く)


保阪嘉内


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