鉄道博物館にて [その他(雑感など)]
先日、さいたま市にある鉄道博物館に行ってきました。
イメージとしては賢治さんとは結びつかないかも知れませんが、実は賢治ファンとしても結構楽しめます。
たとえば・・・
これは「大正時代の客車」です。
当時の客車の車内が再現されており、実際に座席に腰掛けることもできます。
大正10年に家出して東京に向かった賢治さん、もしくは大正12年にサハリンに向かった賢治さんは、こんな客車に揺られて旅をしたのだろうか・・・などと想像していると時間が経つのを忘れてしまいます。
これは万世橋駅のホームと大正3年に製造された電車「ナデ6141」です。
そう、書簡19(大正5年8月17日、保阪嘉内宛)の中に記された短歌
甲斐に行く万世橋の停車場をふっとあわれにおもひけるかな。
に詠われた、「万世橋の停車場」です。
もっとも、当時の甲武鉄道(のちの中央線)は中野までしか電化されていませんでしたので、電車では甲斐に行くことはできませんが。
車内に入って見ると、窓から「まんせいばし」の駅名板も見えます。
ここでも、シートに腰掛けながら賢治さんの「電車」を思い浮かべていました。
こちらは、昭和2年に製造された客車「オハ3126」の車内です。
3等車とはいえ風格が感じられ、現在の電車と比較して豪華な内装のように見えます。
やはり、木の内装というのは素朴でも暖かみがあって、いいですね。
昭和6年、東北砕石工場の製品見本を詰めた大トランクを持った賢治さんは、こんな客車に揺られて東京に向かったのでしょうか。
このように窓が開いているところを見ると、何となく『銀河鉄道の夜』を思い浮かべてしまいます。
(『銀河鉄道の夜』については、また後日改めて書いてみたいと考えています)
座席に腰掛けていろいろなことを思い浮かべていると、いつまででも過ごせそうなのですが、ボランティアのガイドさんがお客さんを引き連れて車内を解説して回るコースに入っているらしく、10分置きくらいに大勢の人が入ってきてあんまり落ち着きませんでした(^^;)
(記:azalea)
イメージとしては賢治さんとは結びつかないかも知れませんが、実は賢治ファンとしても結構楽しめます。
たとえば・・・
これは「大正時代の客車」です。
当時の客車の車内が再現されており、実際に座席に腰掛けることもできます。
大正10年に家出して東京に向かった賢治さん、もしくは大正12年にサハリンに向かった賢治さんは、こんな客車に揺られて旅をしたのだろうか・・・などと想像していると時間が経つのを忘れてしまいます。
これは万世橋駅のホームと大正3年に製造された電車「ナデ6141」です。
そう、書簡19(大正5年8月17日、保阪嘉内宛)の中に記された短歌
甲斐に行く万世橋の停車場をふっとあわれにおもひけるかな。
に詠われた、「万世橋の停車場」です。
もっとも、当時の甲武鉄道(のちの中央線)は中野までしか電化されていませんでしたので、電車では甲斐に行くことはできませんが。
車内に入って見ると、窓から「まんせいばし」の駅名板も見えます。
ここでも、シートに腰掛けながら賢治さんの「電車」を思い浮かべていました。
こちらは、昭和2年に製造された客車「オハ3126」の車内です。
3等車とはいえ風格が感じられ、現在の電車と比較して豪華な内装のように見えます。
やはり、木の内装というのは素朴でも暖かみがあって、いいですね。
昭和6年、東北砕石工場の製品見本を詰めた大トランクを持った賢治さんは、こんな客車に揺られて東京に向かったのでしょうか。
このように窓が開いているところを見ると、何となく『銀河鉄道の夜』を思い浮かべてしまいます。
(『銀河鉄道の夜』については、また後日改めて書いてみたいと考えています)
座席に腰掛けていろいろなことを思い浮かべていると、いつまででも過ごせそうなのですが、ボランティアのガイドさんがお客さんを引き連れて車内を解説して回るコースに入っているらしく、10分置きくらいに大勢の人が入ってきてあんまり落ち着きませんでした(^^;)
(記:azalea)
2011-06-05 19:40
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