ゆかりの地をめぐって(埼玉県・長瀞 その1) [ゆかりの地]
賢治の秩父旅行での、寄居の次の目的地は長瀞(ながとろ)です。
このあたりは、狭い範囲の中でさまざまな種類の岩石を見ることができるため、「日本地質学発祥の地」といわれ明治時代から地質学を学ぶ人たちがよく訪れたところです。
盛岡高等農林学校の地質調査・見学旅行でも当然、重要なポイントになっていました。
今では行楽地として、川下りやバーベキューなどの観光客でにぎわっています。
ここで賢治は、
つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ。
という歌を詠んだと言われています。
養浩亭という旅館の駐車場には、この歌を刻んだ歌碑も建っています。
長瀞の賢治歌碑
このブログをご覧くださっている方は、「おや?この歌は・・・」と思われるでしょうね。
そうです、寄居の賢治歌碑にも同じ歌が刻まれていたのでした。
実は、賢治が「粋なもやうの博多帯」と詠んだとされる「片岩」については3つの説があるのです。
一つは、長瀞の岩畳より少し上流の河原にある「虎岩」と呼ばれるスティルプノメレン片岩。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E5%B2%A9
(長瀞の歌碑はそのすぐ近くにあります)
もう一つは、そこからさらに少し上流に架かる親鼻橋のたもとにある紅簾片岩。
http://www2.arajo.ktr.mlit.go.jp/map/02/minano/075koren.htm
最後の一つは、今はダムができたために水没して見えなくなってしまったけれど、寄居付近にそんな感じの石があった・・・という幻の岩です。
(寄居の歌碑にもこの歌が刻まれているのは、そういうわけなのだそうです)
一般には、「虎岩」が賢治の詠んだ「片岩」のことだと言われています。
それくらい、このあたりでは「虎岩」はよく知られている岩石で、賢治が旅したころの長瀞の名所案内にも登場しています。
さて、「粋なもやうの博多帯」とはいったいどの石だったのでしょうか?
虎岩の模様
紅簾片岩の模様
(記:azalea)
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