宮沢賢治と保阪嘉内を学ぶ子どもたち [研究に関すること]
今回は、「宮沢賢治と保阪嘉内」の学習をした子ども達の感想です。
私が向山先生の話を聞いて分かったことは二つあります。まず一つめは、宮沢賢治さんの友達が駒井に住んでいて、しかも手紙でのやりとりが73通もあったということです。私はこの韮崎にそんなすごい人の友人が昔住んでいたなんてとてもすごいことだと思いました。そして二つめは宮沢賢治さんと保阪嘉内さんがけっこう若くして亡くなっていたことです。宮沢賢治さんは37才で保阪嘉内さんは41才ですごい早く亡くなってびっくりしました。
最後にわたしが一番心に残った言葉はスクリーンの最後に出てきた言葉で「世界みんなが幸福にならないかぎり個人の幸福はない」という言葉です。
私はこの言葉を聞いて「宮沢賢治さんはすごくやさしい人なんだなあ」と思いました。そして日本の政治家に宮沢賢治のような人がいたら、日本はもっと豊かでよい国になるのではないかと思いました。 【A】
今日私は向山先生のお話を聞いて、宮沢賢治と保阪嘉内がどれだけ「心の友」だったかということがわかりました。賢治は保阪嘉内に手紙を70通以上おくったのだそうです。いくら遠くにはなれていても手紙で心がつながっていたのです。とてもすばらしいことだと思いました。わたしもそのような「心の友」をいつかつくりたいなあ、と思いました。
賢治が書いた作品はどれも空想がすばらしいと思います。私は「ツエねずみ」という本を読みましたがとてもおもしろかったです。
先生方が紹介した本も一度読んでみたいなあと思っています。
今日していただいたお話は一生忘れません。このお話を思い出しながらこれからの国語の勉強、「やまなし」にいかしていきたいなあと思いました。
今日のお話は本当に勉強になったお話でした。 【B】
「へえ、そうなんだあ」わたしは何回もそう思いました。その中でも宮沢賢治の友だちが駒井に住んでいたことがとてもびっくりしました。
また宮沢賢治は4年間教師になっていたそうです。そのあと作家になり有名な「雨にも負けず」や「銀河鉄道の夜」などたくさんの作品をだしたそうです。 宮沢賢治と保阪嘉内の出会いの場所は岩手県の農学校だったそうです。
山梨県に住んでいた保阪嘉内はこう水をなんとかしたくて岩手県の農学校に入りほかにもいろいろなことを学びました。
今日の会はとてもいい勉強でした。宮沢賢治と保阪嘉内は心の友ということがわかりました。私も仲良しの友達がいるので心の友と言えるような友達にしたいです。 【C】
このような感想を持った子ども達。「やまなし」の学習や賢治作品を読み進める中で更に自分なりの賢治像をつかんでいきます。
教室の掲示 その1
教室の掲示 その2
■この記事は実行委員の向山三樹氏から提供いただきました。
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