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「花園農村」とは? [作品に関すること]

さて、「保阪嘉内・宮沢賢治 花園農村の碑」の話題が続きましたが、このブログをお読みの皆様の中には「花園農村って何?」と思われた方もあるのではないかと思います。
「花園農村」とは、保阪嘉内が旧制甲府中学校の生徒であったころ弁論会の演説で主張していた、彼が模範とする農村の姿のことなのです。
宮沢賢治は、心象中に存在する理想郷として「イーハトーヴ」を思い描きましたが、保阪嘉内は理想郷として「花園農村」を中学生時代から思い描いていたのです。

嘉内は「農学を修め、郷里に帰って村長になり、花園農村を作るんだ」という志を持って、盛岡高等農林学校に進学します。
嘉内が具体的な「花園農村」のイメージを記したものはいくつかありますが、その一つが『文象花崗岩』という歌稿にはさまれていたノートの断片に書かれていたつぎの文です。

春は麦打ちせんと畑に立って遠山のかすみに消えゆく夢みる喜び
夏田植して帰る田の水の上に浮かむ白玉
秋は柿の梢に柿赤き頃 豊な稲はすゝ風にさらさらと波打って
冬は縄なひ 草鞋作り 夕べは家庭のもっとも歓しきうたげにあわやかに降りつむ雪をみる
われわれをして 田園都市を作らしめよ 模範農村を 作らしめよ
そしてわが幸ある天地の神に感謝をささげしめよ


この文は、「保阪嘉内・宮沢賢治 花園農村の碑」の真ん中の石に刻まれています。
そのほかにも、文化施設や病院があり、道路が整備され、美しい自然を楽しみながら村人が農業に誇りを持って働いている姿をイメージした作品もあります。

「保阪嘉内・宮沢賢治 花園農村の碑」が建立された東京エレクトロン韮崎文化ホールも、嘉内の遺志を具体化したものの一つといえるでしょう。
http://www.city.nirasaki.lg.jp/breeze/hall.htm


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