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江ノ島を訪れた嘉内 [ゆかりの地]

昭和7年の3月20日、保阪嘉内は江ノ島を訪れました。
当時の嘉内は東京の東久留米の浄牧院にあった日本青年協会の武蔵野道場で青年教育に励んでいました。
そのころの協会の機関誌「アカツキ」を見ると、嘉内が書いたものらしい文章が載っています。

◎武蔵野道場は保阪嘱託主任として、青木主事、氏家嘱託が一週一日宛必ず出張しての指導と、講習生一同の努力との実が結んで水田の稲は今日此頃の秋風に金波を漂はし、西瓜南瓜等は已に終りましたが甘藷や里芋は畑を埋めて居ります。茶大根も今盛んに育つてゐます。先月二十七日から今月五日迄第八回青年長期講習員二十九名が農業実習にやつて来てゐますので非常な賑さです。何といつても日頃は寂しい位静な処ですから浄牧院の蝙蝠も嘸驚いてゐることでせう。


この武蔵野道場のあった浄牧院にはまた、日本青年協会と大日本連合婦人会との共同事業である武蔵家庭女学院も設置されており、浄牧院に置かれていたことから浄牧学院とも呼ばれていました。
保阪家に遺されているアルバムにはこんな写真があります。

江ノ島の嘉内.jpg

この左端には嘉内の字で
―江の島弁財天の窟下にて―
浄牧学院卒業生有志のトリップ―昭和七、三、二〇―

の書き込みがあります。
嘉内が江ノ島を訪れたのは、浄牧学院の教え子たちの「卒業旅行」に同行したのです。
11人の若き女性と共に満面の笑顔をたたえているこの写真から、当時の嘉内が青年教育に希望や自信を持って取り組み、教え子からも慕われていたであろうことがうかがえます。
この時期の嘉内にとっての武蔵野道場での活動は、賢治でいえば花巻農学校の教師時代に相当するものといえるかも知れません。
ちなみに、最前列にちょこんと座っている幼い男の子は、昨年「開運!なんでも鑑定団」に登場されたあの方です(^^;)

先日、近くに用事があったので少し足をのばして江ノ島に寄ってきました。
時間が足りず、嘉内たちが写真を撮ったところまでは行く余裕がなかったため(船が欠航していなければ行けたのですが……)、見当を付けて上から撮ってみました。
岩の感じからして、このあたりではないでしょうか?
この日もたくさんの人が訪れています。

江ノ島.JPG
      江ノ島の岩窟付近の海岸

【追記】
賢治の事務所員さんが、無念を晴らして嘉内たちが写真を撮った場所を確認してきてくださいました。
「緑いろの通信」2009年3月号の3月20日の記事も、ぜひごらんください!!
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/news/news200903.htm

(記:azalea)
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コメント 2

賢治の事務所員

 こんばんは。賢治の事務所員です。
azaleaさんの「嘉内たちが写真を撮ったところまでは行く余裕がなかった」という無念を晴らすため、現地に行ってきました。ここまで来ていたのだなあと思うと感激です。詳しい場所はホームページの緑いろの通信(2009年3月20日号)にも書きましたが、船を利用しない場合でも、徒歩で行くことができます。現地に行けば、すぐわかる場所です。
by 賢治の事務所員 (2009-03-23 21:31) 

azalea

せっかくの御馳走を目の前にして食べずに帰ってきたような思い(笑)でいたのですが、賢治の事務所員さん、無念を晴らしてくださってありがとうございます!
私も奥津宮までは行ったのですが、下に降りて現地を確認してから戻ってくることを考えると、時間的に断念せざるを得ませんでした(>_<)
次回は渡船が欠航していても良いように、十分時間に余裕のある時に訪れてみたいと思います。
by azalea (2009-03-23 22:37) 

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