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保阪嘉内のスケッチ「ハーリー彗星之図」 [作品に関すること]

保阪嘉内は、甲府中学生時代(明治43年4月~大正4年3月)にたくさんのスケッチをしています。
風景画や静物画がその大部分を占めていますが、その中に「ハーリー彗星之図 五・廿夕八刻」と記された1枚の絵があります。

この絵は、明治43年5月20日に嘉内が甲州の山々の上空を通過するハレー彗星をスケッチしたもので、その印象を「銀漢ヲ行ク彗星ハ夜行列車ノ様ニニテ遙カ虚空ニ消エニケリ」と画中に記しています。
一方、岩手県は曇り空であったために、賢治はハレー彗星を見ることができませんでした。
私たちは、このイメージを嘉内が賢治に繰り返し話したことが、かの『銀河鉄道の夜』の着想に結びついたのではないか……と考えています。

さて、この絵を描いた当時、嘉内は甲府中学校の一年生で、寄宿舎生活をしていました。
その時に英語の教員で舎監でもあったのが星の研究家として知られる野尻抱影(本名・正英)だったのです。
おそらくは、抱影の話を聞いて嘉内もハレー彗星を眺めたことと思います。
それでは、このスケッチはどこで描かれたものでしょうか?

嘉内の次男の保阪庸夫氏はその場所を突き止めようと、長いあいだ調査と検討を重ねてこられましたが、最近になってそれがはっきりしてきました。
その場所とは……、旧甲府城内の一角。甲府中学校の寄宿舎があった場所でした。
次の写真は、甲府中学校の寄宿舎跡地付近から撮影したものです。
嘉内のスケッチと、山容がほぼ一致します。
嘉内はその夜、寄宿舎から夜行列車のように銀河をかけるハレー彗星を眺めたのでした。


(2007年9月 向山三樹氏撮影)

<参考>
当時の星空との関係については、加倉井さんの「緑いろの通信 10月号」に記事がありますので合わせてご覧ください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/news/news200710.htm



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