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河本緑石の書簡/書簡1(大正7年5月13日) [人物に関すること]

【1】大正七年五月十三日  封書〔封筒ナシ〕

Kよ、
毎度御便りをいただいて有難う。盛岡も、もう花は末になった。花の盛りに一度便りしようと思ったんだが、何んだか俺には今年の花は美しくなかったやうな気がする。高松も見たし公園の花も見た。盛岡の花時は淋しいものだと思った。公園にあれ程花があるのに花見の宴をはってゐるやつもない。それに今年は花時に雨が多かった。而も一緒に寒さがやって来た。今は八重桜が盛中だ。
今日は初めて初夏らしい天気だ。夏らしい雲が空に霞んで見える。草の芽や、木の芽が眼を出したのは少し前だったが、今はやうやく伸びだした。新緑の香のただようまでには時がある。
春が来て過ぎようとしてゐるんだが、俺には春らしい気分になったやうなおぼえがない。
K君、
君の去った盛岡はひっそりとしたものだ。殊に俺には淋しい。悲痛だ。誰一人話し相手がないよ。一人だってないよ、やつらの頭ん中は砂利と鉋屑とばかりだ、鼻の下に尺八をぶらさげて縮み上ってゐると思へばいゝ。(余談になるが此の頃尺八の大流行だ。)
K君、
限りない孤独が君を捕へた事だらう。やっぱり俺も孤独だ。此の孤独をどこまでも掘り下げて行かうよ。
K君。
宮沢さんが今土性調査で、出張して、盛岡にゐない。〝アザリア〟復活についても話したいのだが、山の中に入ってしまって出て来ない。しんみりと山の中で歩いてゐる事だらう。
K君、
アザリアは私と宮沢さんとで先づ最初の復活号はやるよ。また、東京の方にうつしてもらうかも知れない。原稿をどっさり送って下さい。
あるひは名義だけ東京に移してもよい。原稿〆切りは五月末までにしませう。集り次第すぐ発行します。小菅君の原稿はすぐ集るし、学校内のものは集るわけだし、するけれど、市村さんと、鯉沼さんのが君の方で集まらんだらうか。僕の方でも通知するけれど、君の方で集れば集めて下さい。
K君
小菅君が今月の十日か九日かに盛岡に来た。何んでも日曜だ。県庁の証明がもらへないで、九月頃まで日本にゐるそうだ。で其の間自活しなければならんからって青森の畜産学校の先生になった。
K君。
此の間、モモチヨとフミマルに会った。……………………………………………………………………。
K君、
今度はこんなにずるけないで御便するよ。
原稿は出来しだい御願ひします、早く発行したいんだから。
さらば。
                   義行
  嘉内兄

詩二篇
  □草が生れる
めらめらめらめら、土の音。
草が芽を出すんだ、草が。
ここのこの大きな土の中から。

  □一本の草

一本の草を見ろ、草を。
命のある草を見ろ。
そこにどんなに大きなものがあるか、
  ×
土の底には、大地の命をぢかに吸う根があるんだ。
眼に見えぬやうな白い根が、
ぢっと土の心臓を抱きしめてゐるんだ。
おまへたちはわかるまい、
あの白い根が、
ひらひらひらひら息をする、あの白い根が。
そこに大きな土があるんだ。
大地がしっかりとあるんだ。
  ×
するどく青い草の葉を見ろ。
光を吸ふんだ―光が吸へるんだ。
吸ふがよい吸ふがよい、ここらは光りでいっぱいだ。
若し、太陽の前で其の葉をすかして見るなら。
数へきれない程の脈管が青く透いて見えるだらう。
そこに動いてゐるものを感づるだらう。
それが命だ、
それが命だ。
  ×
ほそ/゛\と伸びあがった茎の上に、
焔のやうに燃えてゐる花。
何んといふ美しさだ。
赤い焔につつまれて、
この美しい花の中にはもう子供が出来てゐるんだ。
眼には見えないけれど
それは球[マル]くて、まことにまことに小さなものだ。
                                        (五、十三、夜)

《凡例》ブログは印刷物とは異なり、横書きでレイアウトの細かい設定等もできないため、版組は原文を忠実に反映したものではありません。なお、原文の表記のままの部分(誤字・当て字や独特な表記など)は赤字で、明かな脱字は本文内に〔 〕で、2字の踊り字は/\または/゛\で表現しました。またルビは、このブログではrubyタグが使用できないため親文字の後に[ ]に入れて小書きで表示しました。


『アザリアの友へ』23~27頁(図版一)より。本文は29字×12行原稿用紙4枚、「詩二編」は便箋3枚に書かれています。この書簡は『友への手紙』の大正7年の「参考資料」の中にも、本文の大半と詩の一部が紹介されています。

「K」とは、言うまでもなく保阪嘉内のことです。嘉内は『アザリア』5号に載せた「社会と自分」という文章の過激な表現が問題視され、大正7年3月に盛岡高等農林学校から除名の処分を受けました。父親の嘆願もむなしく処分は撤回されず、嘉内は盛岡を去り、札幌もしくは駒場の農科大学(現北海道大学農学部、東京大学農学部)を受験すべく東京で受験勉強を始めることにしました。
このころの大学は秋入学だったので、入学試験は6月に実施されていたのです。
嘉内の『ひとつのもの』と題した歌稿ノートには、嘉内の4月ごろの心情を詠った

  おちぶれて
  桜のしたをあゆみたり
  二度目で
  出たる
  受験生かな

  おれもまた
  かわいさうなり
  をちぶれた
  姿で歩ゆむ
  日がまぶしく照る

  なんぼなんでも
  殺すものなら
  殺して見ろ
  さう
  やすやすと
  死ねるものかよ

  泣かうとしても
  あまりの
  悲しさになけもせず
  又そんな弱い
  言葉も云へず

  もう少し
  元気を出せと
  云ふしたから
  「とても、とても」と
  いきを
  つきてあり

  いそがしさうに
  街を歩んで
  本読めど
  心はつねに
  おだやかならず

  死といふ字を
  四十四書いて
  死んで見たし
  残った人が
  始末するらん

といった歌が綴られています。


保阪嘉内の除名処分の通知が学校の掲示板に貼り出された時、嘉内は山梨の実家に帰省しており、賢治からの知らせを受けて急遽盛岡に戻ってきたのです。この時期、賢治や小菅健吉ら得業(卒業)生以外は帰省していた者が多かったのでしょう。小菅健吉の書簡の中には、自分も(渡米の準備などで)余裕がなく嘉内の除名処分に対して何もできなかったたことや、何もしようとしなかったアザリア同人らに対する思いが綴られています。

嘉内と同じく2年生であった緑石も鳥取に帰省しており、新学期になって学校に戻ってはじめて嘉内が盛岡を去ったことを知ったのだと思います。
この書簡には、嘉内がいなくなった寂しさを綴るとともに、賢治や小菅健吉の動静を伝えています。嘉内が東京での居所を伝えてきた書簡に対する返信と推測されますが、文中に「花の盛りに一度便りしようと思ったんだが」「今度はこんなにずるけないで御便するよ」とあることから、おそらくは4月の半ばごろに嘉内の書簡を受け取り、下旬にその返信を書こうとしたものの、そのまま返信がなかなか書けずに5月半ばになってしまったのでしょう。
嘉内は5月14日付で緑石宛に絵葉書を出していますから、もしかすると緑石がこの長い手紙を書く前にも嘉内からの便り(東京からの第2信)があったのかも知れません。

あくまでも私見ではありますが、緑石の返信が遅くなったのは単純に「ずるけ」ていたのではなく、嘉内に対して何を書いてよいか迷ったためではなかったでしょうか。その末に考えついたことが「〝アザリア〟復活」で、緑石はこれこそが失意の嘉内を元気づける最良の方法だと思ったのではなかったでしょうか。
『アザリア』は嘉内に除名という処分をもたらした元凶という見方もあるでしょうが、緑石は嘉内には書くことが心の支えになると考えたのだと思います。
こうした緑石の呼びかけに嘉内も応え、『アザリア』を復活号(6号)が翌月に刊行されたものの後が続かず、復活号が終刊号になってしまいました。

11213352.jpg
アザリアの友たち(個人蔵・筆者撮影)
左上:保阪嘉内 右上:宮沢賢治
左下:小菅健吉 右下:河本義行(緑石)

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C?

突然で失礼ですが、気になったのでコメントを入れさせていただきました。
アザリアの4人の写真、前回記事の保阪嘉内が所有していた「スクラップブック」、それから『アザリアの友へ 河本緑石書簡集』の掲載許可は得ていますか。
「スクラップブック」は個人所有の、ごく限られた範囲でしか公開されていないはずのものですし、『~書簡集』については一部の引用ならともかく、全文テキスト化しブログ上に掲載するということなら必要だと思いますが、いかがでしょうか。
著作権が消滅しているものでも、出典は必ず明示すべきです。
by C? (2014-03-07 13:25) 

azalea

C?様、この度は御意見ありがとうございます。
筆者はアザリアの友たちの友情を広く紹介することを目的に、所蔵者様の了解をいただき自身で保阪嘉内旧蔵資料の調査・撮影・記録等を行ってきたものであり、本ブログもその目的に沿った活動の一環として続けてきたつもりです。
公表されていない資料の掲載、また刊行物を引用の範囲を超えて掲載する場合は、C?様の御意見の通り所有者様・出版者様の許可を得る必要があると当方も考えます。また「著作権が消滅しているものでも、出典は明示すべき」ことは当方も同意見です。

まずスクラップブックの画像が公表されていない資料に該当するとの御意見ですが、少々補足させていただければスクラップブックは展覧会等の限られた機会ではありますが既に何度も一般公開されております。そうした機会に目にできるのは概してこの部分であり、この部分については公表されているものと理解してよいかと存じます。また複数の書籍(筆者編集のものを含めて)にこの部分の画像が掲載されておりますので、どなたでも目にすることが可能です。したがいまして出所の明示で対応できる部分かと考えております。
ただし既存の書籍からの転載ではありませんので、写真には筆者撮影のクレジットを添えさせていただきました。

次に書簡の掲載についてですが、『アザリアの友へ』に図版として掲載されている書簡をそのままスキャン等により掲載する場合は、C?様の御指摘の通り出版者の承諾が必要と存じます。また未公表の書簡であれば、公表に際して同意が必要になると存じます。
しかし、この記事は刊行物の図版として誰でも読める形で既に公表されている書簡について、筆者が独自に解読のうえ解説を加えたものですので、転載とは異なり、筆者による著作物(解読の部分は原著作物を元にした二次著作物)として、こちらも著作権が消滅している場合は出典の明示により記事化できるものではないかと考えております。
出典が明示されていないとの御意見かと存じますが、『アザリアの友へ』のどの頁の図版(粗同書の書簡番号と当方の解読による書簡番号は途中から異なってくるため)を解読・解説したものであるかは解説文の冒頭に明示したつもりです。

上記の観点から記事化を行いましたが、それでも本ブログの記事が不適当である旨の申し出を所蔵者様・出版者様からいただいた場合は、運営ポリシーとして申し出に基づき即刻訂正なり削除を行うつもりでおります。
by azalea (2014-03-08 20:05) 

にじ

いよいよ、連載スタートですね。
とてもうれしいです。楽しみに読ませていただきます。文学館での展示企画や、著作の刊行など、長年アザリアに関わって心血注いでこられた蓄積ですね。
あの~ 上記のやりとりに関して。
自分の思いを文字にして公表すること、ネット上にアップすること重さを再確認しました。
今日わたしもあることについて問い合わせしました。献血をして、ふと疑問を感じたことを責任者に問い、名刺をお渡しし、結局家から埼玉県の本部へ電話で問い合わせました。その回答は最終的に都内の本社から出ました。私は若い人に「献血をしようよ」って簡単に書くつもりだったのですが、問い合わせはちゃんと名乗るべきだと思ったので、筋を通しました。そこまでしたけれど、夕方から家事をまとめてやっていたら、ブログを書く時間はなくなってしまいました。ともあれ勉強になりました。
こちらの記事は全く問題がないと、思います。自分自身の今までを反省しました。ありがとうございました。
by にじ (2014-03-11 00:40) 

azalea

にじさん、いつもありがとうございます。
私もものを書いている者として、こうした問題については常に極力注意を払っているつもりです。
にじさんのコメント、さすがに記者魂を感じました。
(そう言えば嘉内さんも新聞記者でしたね)
そうした労苦が、にじさんの記事の説得力と信頼性につながっているのですね。
私も見習っていきたいと思います。
by azalea (2014-03-11 22:43) 

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