夢みたこと [その他(雑感など)]
今朝、妙にリアルな夢を見て目をさましたので、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
大学の非常勤講師をやめてずいぶん経つのですが、夢の中の自分は再び大学の教壇に立っていました。
それは「未来論」といったテーマの講義だったらしく、
「夢(理想像)を描き、それを実現させるための方法を考えるとと、それに対する障害を挙げるとともに、そうした障害をいかして回避したり乗り越えていくかを考えてみよう、そこから何か見つかられるはずだ・・・・・。少なくとも夢(理想像)を考えることが未来をつくるエネルギーとなるのです」
といったことを、学生たちに語っていました。
その夢の内容は、おそらく私が大学で教えていたころの記憶によるのだと思います。
受け持っていた「メディア論」の全15回の講義の最後の回には、
「今は常識的には夢想としか思えないことでも、技術があとからついてくれば必ず実現する。
でも、最初に何も発想しなければ、いくら技術が進歩してもそれを役に立てることはできない。
「こんなこといいな できたらいいな」 そういう気持ちがメディアはもちろん、いろいろなものを発展させてきたのです―――」
といった話を、講義の中で取り上げたメディアを振り返ってみたり、ドラえもんのひみつ道具やSF小説などを例に挙げたりしながらするのが常でした。
おそらくは、何かのはずみでその頃の記憶が夢に現れてきたのではないでしょうか。
自分の講義には、とある大学の大学院で聴いた先生方の講義の影響が少なからずあったと思います。
(当時は文学とは縁遠くなっていて、情報工学の勉強をしていました)
実際、そのころまだ大学や企業の研究室で実験段階や構想段階にあったものが技術の進歩によって近年では次々と実用化され、身近なもの(しかも性能がうんと向上し、サイズもうんとコンパクトになって)になっています。
さらに私の拙い講義を聴いた学生たちが〝未来のメディア〟を構想してレポートに書いてくれたもののいくつかさえも、実用化されるようになってきました。
そういえば3.11のころから、夢とか未来とかを考えるということをしなくなったなあ・・・
と、目をさましてからしみじみと考えました。
夢をみること、未来に思いをめぐらせること・・・できるかできないかは別として、とにかく理想像を思い描いてみることの大切さを、まさに夢と現の間を行ったり来たりしながら改めて思ったのでした。
長々と今朝みた夢について書いてしまいましたが、実はここに書くことにしたのは、賢治にも関係があるのかも・・・とふと思ったからでした。
賢治が夢見たことは、一言でいえば理想郷(イーハトーヴォ)の具現化ということになるかと思います。
そのためのフィロソフィーを綴ったものが『注文の多い料理店』の「序」や「農民芸術概論綱要」であり、それを実現させるための方法が信仰であり、文芸であり、音楽であり、劇であり、あるいは羅須地人協会などの活動であったと考えられないでしょうか。
いやいや、夢の中で夢について語っているようでは、どうも説得力がありませんね(笑)
《影響を受けた先生方の著書です》
大学の非常勤講師をやめてずいぶん経つのですが、夢の中の自分は再び大学の教壇に立っていました。
それは「未来論」といったテーマの講義だったらしく、
「夢(理想像)を描き、それを実現させるための方法を考えるとと、それに対する障害を挙げるとともに、そうした障害をいかして回避したり乗り越えていくかを考えてみよう、そこから何か見つかられるはずだ・・・・・。少なくとも夢(理想像)を考えることが未来をつくるエネルギーとなるのです」
といったことを、学生たちに語っていました。
その夢の内容は、おそらく私が大学で教えていたころの記憶によるのだと思います。
受け持っていた「メディア論」の全15回の講義の最後の回には、
「今は常識的には夢想としか思えないことでも、技術があとからついてくれば必ず実現する。
でも、最初に何も発想しなければ、いくら技術が進歩してもそれを役に立てることはできない。
「こんなこといいな できたらいいな」 そういう気持ちがメディアはもちろん、いろいろなものを発展させてきたのです―――」
といった話を、講義の中で取り上げたメディアを振り返ってみたり、ドラえもんのひみつ道具やSF小説などを例に挙げたりしながらするのが常でした。
おそらくは、何かのはずみでその頃の記憶が夢に現れてきたのではないでしょうか。
自分の講義には、とある大学の大学院で聴いた先生方の講義の影響が少なからずあったと思います。
(当時は文学とは縁遠くなっていて、情報工学の勉強をしていました)
実際、そのころまだ大学や企業の研究室で実験段階や構想段階にあったものが技術の進歩によって近年では次々と実用化され、身近なもの(しかも性能がうんと向上し、サイズもうんとコンパクトになって)になっています。
さらに私の拙い講義を聴いた学生たちが〝未来のメディア〟を構想してレポートに書いてくれたもののいくつかさえも、実用化されるようになってきました。
そういえば3.11のころから、夢とか未来とかを考えるということをしなくなったなあ・・・
と、目をさましてからしみじみと考えました。
夢をみること、未来に思いをめぐらせること・・・できるかできないかは別として、とにかく理想像を思い描いてみることの大切さを、まさに夢と現の間を行ったり来たりしながら改めて思ったのでした。
長々と今朝みた夢について書いてしまいましたが、実はここに書くことにしたのは、賢治にも関係があるのかも・・・とふと思ったからでした。
賢治が夢見たことは、一言でいえば理想郷(イーハトーヴォ)の具現化ということになるかと思います。
そのためのフィロソフィーを綴ったものが『注文の多い料理店』の「序」や「農民芸術概論綱要」であり、それを実現させるための方法が信仰であり、文芸であり、音楽であり、劇であり、あるいは羅須地人協会などの活動であったと考えられないでしょうか。
いやいや、夢の中で夢について語っているようでは、どうも説得力がありませんね(笑)
《影響を受けた先生方の著書です》
国産コンピュータはこうして作られた―1960年~1985年の開発の流れと新世代への展望
- 作者:相磯 秀夫、飯塚 肇、大島 一純、 坂村 健
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1985/09/10
- メディア: 単行本
ユビキタス、TRONに出会う―「どこでもコンピュータ」の時代へ NTT出版ライブラリーレゾナント002
- 作者: 坂村 健
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2004/10
- メディア: 単行本
2014-02-12 21:35
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コメント(4)
今のわたしには心にしみる夢記でした。
最近はスケジュール帳のメモ欄に、読んだ本の中の心に残したい一説を書き留めています。なかなか自分の言葉で書くのは照れ臭い気がして。
でも、やはり自分からこぼれでた言葉は、何よりも自分に対してストレート。ひとの言葉もいいけれど、ノートに自分の想いを書き出すことも再開してみたら、もっと具体的に未来が見えてくるのでしょう。
解っててやらないのが一番いけませんね(^^)
by kabu (2014-02-12 22:56)
見た夢を覚えていることはあまりないのですが、今回は妙にはっきり覚えていました。
夢の中に出てきた自分に学ぶ・・・というのも変な話ですが、まあそれだけ考えが後退してしまっているということへの戒めなのかもしれません(汗)
by azalea (2014-02-13 19:04)
夢でこんなにすごいことをみて、それを覚えていられるなんて、すばらしい。
わたしはこの頃、夢を見ても、その起きたての時は覚えていてそれなりに感動したりしても、少し経つと忘れてしまっているので哀しくなります。
そして、こんなすてきな夢をみられるなんて、すばらしいです。
それだけ身体に染みこんでいるということですから、後退じゃないですよ。
私は雪かきしながら、そして文明のもろさを身にしみながら、北の大地を想う週末でした。
by にじ (2014-02-16 17:12)
20代のころの自分、30代のころの自分が今の自分を見たら・・・と思うことが時々あるのですが、「あんなふうにはなりたくない」と言われそうで想像するだけでも怖くなって途中から考えるのをやめてしまいます(笑)
もうひとがんばりしなければ、と思った次第です。
by azalea (2014-02-16 22:57)