小鹿野町探訪 その2 [ゆかりの地]
午後は天候が崩れるというので、雨が降り出す前に皆本沢の散策を切り上げ、小鹿野の町場に向かうことにしました。
途中、皆本の集落と国道とを結ぶ皆本橋の上から、皆本沢と赤平川の合流点が見えました。
川幅を考えると大正5年にはもしかした現在の位置にはまだここに橋は架かっていなかったか、あったとしても細い吊橋のようなものだったのではないでしょうか。
橋のたもと近くに川に降りる細い道がありましたので、昔は川を渡るには崖を降りて一旦河原に降りて簡単な木橋で対岸に渡ったのかも知れません。
そのあたりは、今後調べが必要なところです。
赤平川の河原にも一面に枯葉が積もって、とても風情がありました。
そこから、昨年10月にオープンした「観光交流館 本陣」に向かいました。
外観はかつて本陣寿旅館であったころの雰囲気をよく残しています。
近くに無料駐車場も用意されているので、車で来てもゆっくり見学することができます。
館内には食堂もあり、小鹿野名物の「わらじカツ」も食べられます。
いよいよ中に入ります。
母屋は情報交流棟となっていて、入って左側に「郷土ギャラリー」が設置されています。
もちろん、宮沢賢治コーナーもあります。
小鹿野と宮沢賢治のかかわりがパネルで紹介されており、田隝保日記の実物も見ることができました。
町の教育委員会では展示用の複製を作ったとのことでしたので、もしかしたら現在は複製に変わっているかも知れませんが・・・。
こちらが皆本沢で取れる亀甲石だそうです。
賢治さんたちも皆本沢でこうした石を採集したのでしょうか。
こちらが観光交流館のパンフレットです。
中には「宮沢賢治宿泊の宿」と題して、賢治さんと小鹿野の関係や田隝保日記などについて写真入りで詳しい説明があります。
これをもらうのを忘れてはいけません!
途中、皆本の集落と国道とを結ぶ皆本橋の上から、皆本沢と赤平川の合流点が見えました。
川幅を考えると大正5年にはもしかした現在の位置にはまだここに橋は架かっていなかったか、あったとしても細い吊橋のようなものだったのではないでしょうか。
橋のたもと近くに川に降りる細い道がありましたので、昔は川を渡るには崖を降りて一旦河原に降りて簡単な木橋で対岸に渡ったのかも知れません。
そのあたりは、今後調べが必要なところです。
赤平川の河原にも一面に枯葉が積もって、とても風情がありました。
そこから、昨年10月にオープンした「観光交流館 本陣」に向かいました。
外観はかつて本陣寿旅館であったころの雰囲気をよく残しています。
近くに無料駐車場も用意されているので、車で来てもゆっくり見学することができます。
館内には食堂もあり、小鹿野名物の「わらじカツ」も食べられます。
いよいよ中に入ります。
母屋は情報交流棟となっていて、入って左側に「郷土ギャラリー」が設置されています。
もちろん、宮沢賢治コーナーもあります。
小鹿野と宮沢賢治のかかわりがパネルで紹介されており、田隝保日記の実物も見ることができました。
町の教育委員会では展示用の複製を作ったとのことでしたので、もしかしたら現在は複製に変わっているかも知れませんが・・・。
こちらが皆本沢で取れる亀甲石だそうです。
賢治さんたちも皆本沢でこうした石を採集したのでしょうか。
こちらが観光交流館のパンフレットです。
中には「宮沢賢治宿泊の宿」と題して、賢治さんと小鹿野の関係や田隝保日記などについて写真入りで詳しい説明があります。
これをもらうのを忘れてはいけません!
2012-01-22 21:00
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コメント(2)
お返事、ありがとうございました。こちらも、ほんと懐かしい。
昔、寿旅館だった頃、伺いました。雰囲気がそのままとのこと、嬉しい限りです。春祭り(三月下旬)にいって、雪が降ってきたときの風情は忘れられません。
またいってみましょう。
by にじ (2012-01-23 17:53)
私もずいぶん前のことになりますが、寿旅館には1度だけ入ったことがあります。
といってもお昼(代官料理?)を食べただけなので、2階には上がれませんでした。
交流館では2階も開放されていて、自由に上がることができました。
2階は旅館の雰囲気がよく残っていて、もしかしたらこの部屋に賢治さんたちも泊まったのかな・・・などとつい妄想してしまいました(笑)
小鹿野シリーズはもう1回続きの記事が書けそうです。
どうぞ御期待を!?
by azalea (2012-01-23 21:43)