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小鹿野町探訪 その1 [ゆかりの地]

先月、気になっていた「皆本沢」を実際に見ておこうと、小鹿野町を訪れました。

小鹿野町の本陣寿旅館の主であった田隝保さんの日記から、大正5年に盛岡高等農林学校の地質旅行の一行が宿泊した記述が確認されたという記事を昨年8月にアップしました。
この日記によれば、賢治ら一行は大正5年9月4日の午前中に小鹿野町に到着し、その後「皆本沢」に向かい、夜になって旅館に戻ってきたようです。
「皆本沢」とは、小鹿野の町場からさらに西(群馬県方面)に向かった三山の地内にある赤平川の支流の一つで、旅館からは9kmほどの距離になります。
行楽シーズンが終わったら、一度現地を探訪してみたいと思っていました。

国道から皆本沢へ向かう道は細いので、うっかりすると見落として通り過ぎそうになります。
こういう時、カーナビのありがたさを感じます。
途中で車に出会わないことを祈りつつ細い道を進みましたが、皆本の集落で1台対向車をやりすごしてさらに奥地に進みます。
しばらく進んでいくと小さな橋がかかっており、下に小川が流れていました。
この辺からは徒歩です。

皆本沢.JPG

橋のプレートを確認すると間違いなくこれが皆本沢でした。

皆本沢プレート.JPG

まさに「沢」という言葉がぴったりくるような、大人なら一またぎできるほどの川幅ですが、両岸には至る所に縞模様の地層が見られ、確かに地質調査には手頃なところのように見受けられました。

皆本沢の川岸.JPG

川に沿って林道も通っており、どこからでも沢に降りることができそうです。

皆本沢沿いの道.JPG

これまで、賢治の歌稿に「小鹿野」と題した「さわやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな」という歌があることから、9月4日の行程として夕方に「ようばけ」に出かけたという説が有力でしたが、田隝保日記の記述から歌中の「秩父の峡」とは「ようばけ」ではなく皆本沢のことのようです。
この歌の「秩父の峡」を「ようばけ」と考えるのは時間的にも、また景観的にも無理があるように常々思っていたのですが、田隝保日記のおかげで疑問が完全に氷解しました。

聞こえてくるのは、皆本沢の水音だけ。
それと時々吹く風に、道に積もった落ち葉がカサコソと乾いた音をたてるくらいです。
俗世の塵にまみれた心が洗われるような思いさえします。
どこまででも奥に進んでみたい趣のあるところではありましたが、落石のため道路が途中で通行禁止になっていました。
賢治さんたちはどのへんまで行ったのかな・・・などと思いつつ引き返しました。
「半月かかる薄明」ではありませんが、気分は「秩父の峡のかへり道」です。

秩父の峡のかへり道?.JPG
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コメント 2

にじ

コメントおくれました。記事はみていたのですが。今年もよろしくお願いします。

そうですか。ようばけではなかったのですか。10余年も前に、はじめてようばけというところを知り、短歌にも感動して、胸に刻んでいたところなので、ちょっとさびしいような心持ちでいました。でも事実がはっきりしたこと、素晴らしいです。ご苦労さまでした。

その頃バスで通ったり家族で泊まりがけで行っていた小鹿野。しばらく行っていません。
きのうのテレビ「アド街」で放映されていました。小鹿野も随分賑やかになったのかしら。賢治さんのことは話題になったのかどうか。途中で寝てしまいました。
皆本沢、いつか行ってみたいです。良い写真ですね。

by にじ (2012-01-22 09:49) 

azalea

いろいろ忙しくて続編のアップが遅れてすみません。
昨日の「アド街」、たまたま放送を知って録画で見ることができました。
味処や温泉旅館、物産などが中心で、残念ながら賢治さんの話題はありませんでした。
皆本沢はともかく、「観光交流館 本陣」も取り上げられていなくて残念です。
(長瀞の回では保阪嘉内の短歌まで出てきたので、うすうす期待はしていたのですが・・・)

「ようばけ」はいいところですね。
短歌の「秩父の峡」ではないにしても、賢治さんが訪れたことは間違いないでしょうから、ゆかりの地であることは確かだと思います。
by azalea (2012-01-22 11:55) 

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