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「薤露青」について (その2) [作品に関すること]

前回に引き続き、「薤露青」という詩についての記事です。
今回はこの作品を「薤露青」と名付けた理由について、考えてみました。

「薤露」とは、たとえば『デジタル大辞泉』では、
《薤(にら)の葉の上に置く露は消えやすいところから》人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙をいう語。 また、漢の田横の門人が師の死を悲しんだ歌の中にこの語があったことから、葬送のときにうたう挽歌(ばんか)の意にも用いる。

と説明されています【注1】。

「薤露」を、「人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙」として考えると、妹の死を悼む気持ちとよく合致します。
薄明の空の下で北上川の流れを見つめながら、亡き妹を思う作者の姿が浮かんでくるようです。
詩の中に「薤露青の聖らかな空明のなか」という言葉がありますから、薄明の空の色に「薤露」のイメージを感じたということだと思います。
そして、「銀河鉄道の夜」に出てくる「桔梗いろの空」は、この「薤露青の聖らかな空明」と通じるものだと思います。【注2】。

では、「薤露」とはどういう〝歌〟なのでしょうか。
どんな旋律で歌われていたかまではわかりませんが、歌詞は漢詩として読むことができます。
この詩は『楽府詩集』という詩集に収められており、「薤露送王侯貴人、蒿里送士大夫庶人、使挽柩者歌之。亦呼為挽歌。」といった註が付されています。
つまり、「薤露」は王侯貴人の葬送の際に柩を挽く者が歌うものであり、それゆえこれを〝挽歌〟と呼ぶ」ということになります。
(士大夫や庶民の葬送では、「薤露」ではなく「蒿里」が歌われます)
「薤露」=「挽歌」として考えると、この「薤露青」という詩は、「青森挽歌」「オホーツク挽歌」などトシの死を悼む一連の挽歌ともつながってきます。
そういう意味からも、「銀河鉄道の夜」の創作の動機としてトシの死を考えるのは、最も無理のない自然な見方だと思います。

先に自分の意見を書いてしまいましたが、「薤露」とは、こういう詩です。
薤露歌
              漢  無名氏
薤上露、
何易晞。
露晞明朝更復落、
人死一去何時歸。

読み下すと、
  薤上(かいじょう)の露、
  何ぞ晞(かわ)き易(やす)き。
  露 晞(かわ)けば明朝 更(さら)に復(ま)た落つ、
  人 死して一たび去れば 何(いづ)れの時にか歸(かえ)らん。
となり、意味的には、
  薤の上の露は、
  どうして乾きやすいのだろうか。
  露は乾いてしまっても明朝にはさらにまた新しい露が落ちている。
  けれども人は死んでひとたびこの世を去ってしまえば、
  いったいいつの日にまた帰ってくるだろうか。
という感じになります。
乾きやすい「薤露」よりも人の命ははかないものであるということを歌った詩ですね。


私は賢治が亡き妹を思う詩に「薤露青」と名付けた背景には、この「薤露」という漢詩があったのではないかと思っています。
「銀河鉄道の夜」で語られる〝ほんたうのさいわひ〟を求める生き方は、「薤露青」に示されたはかなくこの世を去った妹を想う悲しみが昇華したものではないでしょうか。
「銀河鉄道の夜」には何が〝ほんたうのさいわひ〟であり、どうそればそれが求められるかは、一見書かれてはいないように見えます。
そのことを〝方法論の欠如〟などと批判する論もありますが、そうではないと私は思っています。
答えは賢治によって示されています。

ほら、「農民芸術概論綱要」の中でも賢治は、
  正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
  われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

と語っているではありませんか!



【注】
(1)http://kotobank.jp/word/%E8%96%A4%E9%9C%B2
(2)実際の薤露はこんな感じです。(「イーハトーブ・ガーデン」より)

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