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「アザリア」の仲間4人の写真 撮影日時・写真館が判明 [人物に関すること]

「アザリア」の仲間4人が写っている象徴的な写真、この写真の撮影日時・写真館が小菅健吉氏の手紙から明らかになったことが盛岡タイムス6月6日付けで報道されています。
手紙は宮沢賢治研究会顧問である杉田英生氏(東京都豊島区在住)あてに1966年9月17日付けで出されたものです。
その手紙にはアザリアの4人の複製写真と共に「当時の写真が出てきたので一枚お送りします」と記し、「大正六年十月三十一日 盛岡市奈良写真館」の注釈があるそうです。
奈良写真館は中の橋のたもとで1902年から1933年まで開業していました。
杉田氏はアザリアの仲間で唯一長命だった小菅健吉氏と66年ごろから亡くなる77年までほぼ毎年訪問し話を聞いていたそうです。

この写真のいきさつは新校本宮沢賢治全集にも掲載されていません。
大正六年十月三十一日といえば、アザリア三号が十月十七日に発行され創作活動にも学生生活にも充実した時期だったでしょう。
誰が「写真館で写真をとろう」と言い出したかわかりません。
しかし当時は大切な時期、節目には写真館で写真を撮る習慣があり、保阪嘉内にも写真館で撮った甲府中学時代の写真が残っています。

この小菅氏から杉田氏への手紙の複製は現在開催中の岩手大学記念展示で公開されています。
また保阪庸夫氏にも複製が贈られる約束になっています。
この手紙の文面から花巻市の賢治記念館で保存されているアザリア1号から6号が
小菅氏から清六氏に寄贈されたことも明らかになっています。
小菅氏は保阪庸夫氏に生前「賢治関係の資料は全て記念館に寄贈した」と語っていることを考えると、更に他の資料の存在も考えられます。

11213352.jpg

一枚の写真を撮るに至った過程、誰が写真館で撮ろうと言い出したか、どんな会話をしながら写真を撮ったか、そして嘉内だけが違う方向を向いて撮った写真にみんなはどんな反応をしめしたか。
考えただけでも楽しくなります。
あなたはどんな状況を想像しますか。

(記:むこうみず)



■補記
「盛岡タイムス」ではセンセーショナルな報道がされているようですが、この写真の撮影日については、『心友 宮沢賢治と保阪嘉内』の口絵の解説で既に触れられています。
保阪嘉内はこの写真を貼ったアルバムに撮影日を記入しており、写真には奈良写真館の刻印もあります。
『心友・・・』の著者がそれ以上のことを記さなかったのは、掲載にあたって改めて刻印を確認する余裕がなく、「奈良写真館」についても調査ができなかったからですが、この刻印こそが4人が所持していたオリジナルの写真である証(リプリントでは消えてしまいます)と言えるでしょう。
今回の杉田英生氏の発表によって、小菅健吉・保阪嘉内両氏の記録が一致していることが確認できたことは大きな意味があります。
岩手大学での記念展で4家の遺族が揃ったことを機に、今後はこうした相互の資料を関連させた伝記事項の検証が進むことを期待する次第です。

(記:azalea)
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コメント 8

歴歩

 中ノ橋の奈良写真館が宮沢賢治とゆかりがあったことを初めて知りました。 1902年から1933年の間だけ開業していたのですね。
 5,6年ほど前、本のタイトルは記録していませんが、図書館にあった写真集からコピーした奈良写真館は、明治44年7月9日撮影と書かれていました。  本からのコピーではありますが、思い出になる写真になりました。
by 歴歩 (2011-07-04 17:21) 

azalea

明治44年だと、1911年ですね。まさに奈良写真館の全盛期(?)ですね。ありがたい情報です。
貴重な写真だと思いますので、私も心当たりの本を探してみることにします。
奈良写真館については、下記のサイトに詳しいレポートが載っていたのですが、残念ながら今はバナーだけになってしまっています。
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/
by azalea (2011-07-04 18:57) 

歴歩

多分、B4版の本なのでしょう。1ページに写真2枚があり、A4サイズ100%でコピーをしたので、一部が欠けています。ただ、屋根に奈良写真館と書かれた看板が架かっている1枚が重点に写っています。
2階建ての瓦葺木造建物です。1mほど盛土にして石垣で外装しています。左隣の蔵も、白く塗り直した後らしく、全体的にきれいな感じです。
奈良真順、真一、勝郎とメモしており、館主なのでしょう。

8月初旬に盛岡に行く予定がありますが、もし、奈良写真館のあった場所がお分かりでしたら教えていただけるでしょうか。
by 歴歩 (2011-07-04 20:31) 

azalea

本についての詳しい情報をありがとうございます。
岩手日報社から刊行された写真集ではないか、という気がするのですが・・・。
大きな図書館に行く機会があれば探してみようと思います。

奈良写真館の場所までは、申し訳ありませんが存じておりません。
先に紹介した「賢治の事務所」に非常に詳しく出ていた時にプリントアウトして保存しておけばよかったのですが、お役に立てず申し訳ありません。
下記の記事によれば現在の「喫茶店ふかくさ」のそばが奈良写真館の跡だそうです。
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/news/news201105.htm
by azalea (2011-07-04 23:01) 

歴歩

岩手日報社かは覚えていません。 ただ、明治期の写真を集めた写真集だったかもしれません。早稲田大学の図書館で見ました。

「喫茶店ふかくさ」は川沿いですよね。奈良写真館が川沿いにあったかは、写真からは、うかがい知れません。「喫茶店ふかくさ」に寄って聞いてみようかなと思います。
by 歴歩 (2011-07-05 01:18) 

azalea

さらに情報ありがとうございます。これである程度絞れるでしょうし、また早稲田大学に行く機会があれば図書館に立ち寄ってみたいと思います。

「賢治の事務所」の記事だと、奈良写真館も確か川沿いだったように記憶しています。「喫茶店ふかくさ」も古い店のようですから、わかるといいですね。
もし正確な情報が必要でしたら、「賢治の事務所」に問い合わせていただければ、こころよく教えてもらえると思います。
では、よい旅になりますように!
by azalea (2011-07-05 19:13) 

歴歩

 奈良写真館の情報と写真が得られましたので連絡します。
 私が見た、そしてコピーをした写真集は「蔵から出てきた盛岡 : よみがえる写真乾板 / 伊山治男 編」(東京 : 国書刊行会, 1989.7)でした。
 それに関する情報がネットにありました。
 「蔵から出て来た盛岡(奈良写真館)」で検索すれば先頭に出てくるかと思います。 コピーした写真と同じものが載っていました。
 ただ、文中に、奈良写真館の場所が「現在の岩手銀行中の橋支店の筋向い」という記述に戸惑いを感じました。
by 歴歩 (2012-01-18 23:39) 

azalea

貴重な情報をありがとうございました。
早速検索してみましたら、すぐに見つかりました。
個人で購入するには高価な本であり、また近所の図書館にもなかったので、大きな図書館に出向いた時にコピーをして来たいと思います。
まずは取り急ぎお礼申し上げます。
by azalea (2012-01-20 20:18) 

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