青年教育者としての嘉内 [人物に関すること]
保阪嘉内は、在郷軍人として藤井青年訓練所で地元の青年たちへの教育活動を行います。
その中でも宮沢賢治のことがしばしば語られたようです。
青年教育に従事する中で、嘉内は日本青年協会の活動に次第に魅せられていきます。
全国に農業伝習所を作り、次代の農村を担う人材を育成する・・・嘉内は青年たちに自分の夢を託そうとしたように思えます。
昭和6年9月の下旬、宮沢賢治は東北砕石工場の販売促進のために大きなトランクを持って上京したものの、高熱を出して瀕死状態で東京を後にします。
ちょうど、そんな賢治と入れ替わるように嘉内が上京し、10月から浄牧院という寺院(現・東京都東久留米市)の中に設けられ日本青年協会の武蔵野道場において、青年たちの指導に従事することになります。
昭和7年の7月3日、嘉内は2枚の写真を撮りました。
道場講習生
浄牧院にて
7人の講習生に囲まれた嘉内・・・いい顔してますよね。
理想の実現に向けて、充実した日々を送っていたに違いありません。
それでは最後にもう一度、嘉内スマイル!!
(記:azalea)
その中でも宮沢賢治のことがしばしば語られたようです。
青年教育に従事する中で、嘉内は日本青年協会の活動に次第に魅せられていきます。
全国に農業伝習所を作り、次代の農村を担う人材を育成する・・・嘉内は青年たちに自分の夢を託そうとしたように思えます。
昭和6年9月の下旬、宮沢賢治は東北砕石工場の販売促進のために大きなトランクを持って上京したものの、高熱を出して瀕死状態で東京を後にします。
ちょうど、そんな賢治と入れ替わるように嘉内が上京し、10月から浄牧院という寺院(現・東京都東久留米市)の中に設けられ日本青年協会の武蔵野道場において、青年たちの指導に従事することになります。
昭和7年の7月3日、嘉内は2枚の写真を撮りました。
道場講習生
浄牧院にて
7人の講習生に囲まれた嘉内・・・いい顔してますよね。
理想の実現に向けて、充実した日々を送っていたに違いありません。
それでは最後にもう一度、嘉内スマイル!!
(記:azalea)
2008-07-03 06:40
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コメント(6)
う~ん、やっぱり惚れ惚れするよね~嘉内さま~
それにくらべると賢治は・・・
・・いいのよっ、私にとってはいい男なのっ。
by signaless (2008-07-03 15:09)
ほんとだねえ。こんがりと日焼けして、かぶりつきたいくらい・・・
by sora (2008-07-03 16:13)
(殴)
(蹴)
by signaless (2008-07-03 16:59)
signalessさん、ありがとうございます!
私も今しがたお仕置きしようと思っていたところでした。
by azalea (2008-07-03 17:07)
写真を見るとやはり嘉内は、笑顔にも品格がありますね。
また、道場講習生の写真の方も、スーツ姿がサマになっています。こうやってみると講習生には年齢層があったように見えます。そういった人をまとめながら、なおかつ自分の理想を説いていたのでしょうね。この時の講習生達は今はどうしておられるのでしょうか、ご健在の方もおられるのでしょうか。彼らのその後も興味があります。
by akatuki (2008-07-03 23:11)
講習生の方々のその後、私も気になります。
日本青年協会に協力してもらって、何とか一人でも捜し当てられないものでしょうかねえ?
嘉内の写真といえば、あと髭をたくわえているのがあったような気がします。
髭をたくわえた嘉内も結構ダンディでいい感じだと思いました。
ちなみに、soraさんの笑顔は食い意地ばかりで品格はなさそうですね(爆)
by azalea (2008-07-04 02:38)